物事には両面ある


この文章を読んでいるあなたは
きっと今の現状に何かしらの不満があるのだと思う。


それはお金がないことかもしれないし、
時間がないことかもしれないし、
毎日が楽しくないことかもしれない。


わたしがおうちビジネスを始めたときも
どこに向けたらいいか分からない
フラストレーションがあった。


今までの人生を振り返ってみても
胸を張って言えるような実績や、
これを成し遂げたと言えるようなものは
なにひとつなかった。


30半ばになっても
「何者でもない自分」に対して
恥ずかしさと悔しさを感じていた。


だけどその恥ずかしさや悔しさが
ビジネスを頑張る原動力になった。


人は幸せな状態のとき
何かを変えよう、とか
これを成し遂げるために頑張ろう、
とはなかなか思えない。


自分のここが嫌。
今の生活を変えたい。
この場所から抜け出したい。


こういう、一見
負のオーラに満ちた
どす黒い感情が
人生を変えるきっかけになる。


人は、
不幸を知っているからこそ
幸せを感じられる。


誰もが不幸になんて
なりたくないと思う。


だけど、
不幸という感情を排除すれば
そこには可もなく不可もない
平坦な時間が流れるだけで、
人はそれでは幸せを感じられない。


お金に困った経験があるからこそ
コンビニでアイスを買える幸せが分かるし、


合わない仕事ばかりしてきたからこそ
楽しく仕事ができるありがたさが分かる。


不幸を感じたことがない人は
幸せを感じられないし、


めちゃくちゃ大きな不幸を感じた人は
その分大きな幸せを感じられる。


人生は振り子のようなものなのだ。


20代の頃
わたしは仕事を転々としていた。


仕事を辞めたあと
すぐに次の仕事が見つかることもあったけど
なかなか見つからないときもあったし
見つけたくない…
つまり、働きたくないときもあった。


だから、けっこうな時間を
ニートとして過ごしたと思う。


仕事をしてないときに
よく行くカフェの店員さんに
「今日はお仕事お休みなんですか?」
って聞かれると、心にグサッときた。


友達に
「また仕事辞めたの!?」
って言われると、何も言えなくなった。


わたしだって
好きで仕事を辞めたり
転職しているわけじゃない。


だけど、続けることができない。


次こそは、と意気込んで
履歴書を書いたり
面接を受けたりしたけど
満足いく仕事はなかった。


周りの人たちはみんな
ひとつひとつ
人生を積み重ねているのに
わたしはなにも積み上がらない。


まるで使い捨ての人生だな。


自分のことを
ホッカイロのようだと
思ったことは何度もある。


自己啓発本を読んで
よしやるぞ、と
気合いが入ってるのは3日だけ。


これこそわたしのやりたいことだ、
と希望を感じた仕事も
続くのは半年がやっと。


そんな自分のことを
社会不適合者、ダメ人間、
って思って生きてきた。


でも今思えばそれは
仕事を続けることができない
というわたしの性質の
「悪い面」を見てただけ。


逆に「良い面」を見れば
好奇心旺盛で怖がらずに
新しいことに挑戦できる、
とも捉えられる。


物事はなんでも
必ず両面がある。


考えるたびに意見がブレるのは
それだけ考えてるってことだし、


心配性なのは
いろいろなリスクを考えられるってことだし、


人の顔色をうかがっちゃうのは
人の気持ちを考えられるってこと。


社会不適合の陰キャで
自分の価値なんて
甚だ疑問だったけど


その経験があるからこそ
どんな人でも
自分の知識と経験がお金に換わる
ってことを伝えられている。


○○だからダメ、じゃなくて
○○だからこそ、って考えるのが
人生を大きく変えるコツかもしれない。


そして、今がどん底だとしても、
それはこれから先にあるハッピーの
フラグでしかない。


人生は、常に今がスタート。


過去どんな人生だったかじゃなくて
これから先どんな人生にしていくか。


それが大切なこと。


山崎さおり